内 容
〈東洋芸術〉とは何か ——。近代日本において歴史像が刷新されるなかで、「東洋」は拡大・変容していった。ペルシア芸術を焦点として、伊東忠太・黒板勝美ら学術界、美術商や展覧会、メディア・思想などのグローバルな動向を結びつけ、今日の美術史が確立されていく過程を丹念に掘り起こした挑戦作。
目 次
序 章
1 日本における「東洋美術史」の形成
—— 日本美術の源流としての「東洋」
2 奈良の美術の起源探究と「西方伝来」
3 欧米と日本におけるペルシア美術の受容
(1) ペルシアとイラン
(2) ペルシア美術という流動的な概念
(3) 日本における先行研究と本書の視点
4 本書の意義と構成
第Ⅰ部 サーサーン朝芸術の受容と「東洋芸術」の形成
第1章 美術史・建築史における東西の枠組みとペルシア
1 日本における「東洋美術史」の範囲とペルシアの不在
2 日本における「西洋美術史」とアケメネス朝ペルシア
3 西欧の美術史と建築史における「古代ペルシア」
4 日本の建築史におけるペルシアと伊東忠太の独自の枠組み
(1) 三橋四郎と伊東忠太の東西建築史
(2) 伊東忠太とフレッチャーの建築史
—— 日本人の視点と「世界的」な視点の交錯
第2章 伊東忠太とサーサーン朝の芸術
——「法隆寺建築論」から『文様集成』へ
1 伊東忠太とサーサーン朝ペルシアの建築
—— 留学から1910年代まで
(1)「支那・印度・土耳其」留学の概要とペルシア旅行の願望
(2) 叶わなかったペルシア旅行
(3)「野帳」に描かれたサーサーン朝の遺跡
(4) 帰国後に紹介されるサーサーン朝の建築
2 伊東忠太とサーサーン朝の文様
(1) 三宅米吉と四騎獅子狩文錦
(2) 伊東忠太と四騎獅子狩文錦
——「法隆寺建築論」がヨーロッパに渡った背景
3 「東洋」の一部としてのペルシア
——『文様集成』の編纂と伊東忠太
(1)『文様集成』発刊の経緯とその編集過程
(2)『文様集成』発刊の目的とその背景
(3)『文様集成』における「東洋」の射程
(4)『文様集成』におけるサーサーン朝の文様
(5) 1910年代におけるサーサーン朝の芸術
——ヨーロッパと日本の研究の展開
第3章 明治大正の建築界における「東洋芸術」
1 工科大学建築学科展覧会と「東洋芸術」へのまなざし
(1) 展覧会の始まり
(2) 第2回展(東洋芸術の部)
(3) 第3回展から第5回展まで
(4) 展示物と建築の関係 —— 建築家たちの考古学研究
2 『東洋芸術資料』(1909~11年)と『文様集成』(1911~16年)
(1)『東洋芸術資料』とその射程
(2)『東洋芸術資料』から『文様集成』へ
3 「東洋芸術」への注目の背景 —— 過去への関心と将来への道
(1)「東洋芸術」を研究すること
—— 欧米の研究者に対する競合意識の中で
(2) 芸術創作に応用されるための「東洋芸術」
第Ⅱ部 まなざしが交差する地点
—— 展覧会・博物館におけるペルシアと「東洋」
第4章 1920年代日本の美術商とペルシア美術工芸品展
1 山中商会
2 日仏芸術社
(1) 仏展におけるペルシア美術工芸品
(2) 日仏芸術社の「古陶器展」
3 忘れられた美術商 —— 村幸商店、蒹葭堂、フタバ商店
(1) 村幸商店
(2) 蒹葭堂
(3) フタバ商店
4 美術市場から学術界へ ——「西洋」から「東洋」へ
第5章 黒板勝美のペルシア旅行と東京帝室博物館の復興
1 黒板勝美と海外旅行
2 ペルシア旅行の概要
3 サーサーン朝遺跡の見学とその背景
4 西アジアにおける古美術蒐集と啓明会創立十年記念展覧会への出品
5 東京帝室博物館の復興と「東洋」の拡張
第6章 啓明会創立十年記念展覧会にあらわれるペルシア観
1 啓明会の活動とペルシア研究の支援
(1) 啓明会創立とその活動の概要
(2) 先駆者への助成 —— 啓明会におけるペルシア研究
2 啓明会の創立十年記念展覧会におけるペルシアの芸術
(1) 展覧会の概要
(2) 展覧会における「東洋」とペルシアの枠組み
—— 伊東忠太・矢代幸雄・田辺孝次の言説
終 章
1 本書の総括
2 啓明会の創立十年記念展覧会の余波
(1) ペルシアを含んだ「東洋美術史」
(2) 青山新のペルシア美術研究
注
あとがき
付 表
参考文献
図表一覧
索 引