内 容
かつて医学は「国民の健康」を守るものではなかった ——。感染症流行や栄養不良の広がりのなか、公衆衛生や医学教育の改革を模索した学者・佐多愛彦。先進的な「医育統一」論から、都市計画や学校衛生、国際学術交流、さらには戦中の翼賛政治運動まで、その生涯と活動を通して日本における「国家医学」の命運を描く。
目 次
序 章
1 問題としての「国家医学」
2 本書の目的と課題
3 佐多についての語りと史料
4 本書の構成
第Ⅰ部 佐多の思想形成
第1章 家族・教育・医学
1 佐多家の人びとと西南戦争
2 小学校から医学の道へ
3 県立鹿児島医学校という進路
第2章 研究室から社会へ
1 帝国大学医科大学撰科生
2 2つの調査報告
3 市立富山病院への赴任
第3章 大阪医学校での活動とドイツ留学
1 大阪医学校での活動
2 ドイツでの生活と学び
3 帰国直後の活動
第4章 フィルヒョウからの継承
1 「ウィルヒョウ先生ヲ哭ス」
2 『オーバーシュレジエン報告』からの継承
3 『医学改革』と佐多への影響
第Ⅱ部 医師養成制度の展開
第5章 医師資格制度と経歴別医師数の推移
1 「内地」の医師資格制度
2 植民地・占領地の医師資格制度
3 医師数の推移
第6章 医学教育機関の展開
1 医師養成機関の推移
2 各時期の医師養成機関
3 医師養成機関の周辺
4 軍医教育機関
第Ⅲ部 再編される国家医学
第7章 医育統一への始動
1 医育統一論の構造
2 大阪府立高等医学校への改組
3 私立関西医学院という試み
第8章 公衆衛生への取り組み
1 大阪私立衛生会での活動
2 学校衛生への取り組み
3 郊外生活と都市計画
第9章 欧米視察
1 目的と旅程
2 視察の概要
3 視察の成果
第10章 大学昇格運動
1 府立大阪医科大学への改組と整備
2 府立大阪医科大学・病院の焼失と再建
3 大阪医科大学の誕生
4 大阪医科大学からの離別
第11章 戦間期におけるドイツとの学術交流
1 『日独学芸』の刊行
2 フライブルク大学名誉評議員の称号授与
3 学術交流が生み出したもの
第12章 医学視学委員として
1 医学視学委員への就任と活動
2 大阪高等医学専門学校の医師法指定
3 植民地期朝鮮における医師法の適用
4 東方文化聯盟と佐多のアジア観
5 医学視学委員のその後
第13章 戦時下における改革構想との対峙
1 医薬制度調査会の改革案をめぐる議論
2 医学教育制度改革の諸構想
3 大日本国防衛生協会への参加と離脱
第14章 医界新体制運動への傾斜
1 医界新体制協議会の開催と議論
2 医学教育刷新協議会と医育統一への胎動
3 翼賛政治運動へ
第15章 戦後医療制度改革と公衆衛生・医育統一
1 戦後医療制度改革の開始
2 政策目標としての医育統一
3 医育統一の実現
4 敗戦直後の佐多
終 章
1 本書のまとめと結論
2 佐多の晩年とその後
注
参考文献
あとがき
付 表
索 引


