内 容
啓蒙の終焉か、深化か —— 。近代とともにあった啓蒙の「終焉」が予告されてすでに久しい。だが、啓蒙とはその始まりから問いに付され、審問にかけられる中で展開してきた、再帰性をもった運動であった。本書は啓蒙の多面性に光をあてると同時に、複数の系譜を浮かび上がらせ、その未来を洞察した白熱の共同論集である。
執筆者一覧
目 次
序 論 啓蒙の運命 ………… 富永茂樹
Ⅰ 「啓蒙の世紀」の諸相
第1章 「啓蒙の時代」の「啓蒙への問い」………… 吉田耕太郎
はじめに
1 いまいちど啓蒙の時代へ
2 文化史と光
3 啓蒙論の周辺
4 啓蒙の自己反省と破綻
5 1780年の懸賞論文
6 公論の空間と啓蒙
第2章 代表制・公論・信用
——『両インド史』の変貌とレナル、ネッケル、ディドロ ………… 王寺賢太
はじめに —— 革命から啓蒙へ
1 『両インド史』の一起源
—— レナル/ネッケルのインド会社擁護論(1763-70年)
2 レナル —— インド会社擁護論の政治的次元(1770年)
3 ネッケル —— 財務総長官のポリティクス(1776-81年)
4 ディドロ ——『両インド史』の政治的急進化(1774-80年)
第3章 投資社会の勃興と啓蒙
—— 七年戦争後のブリテンにおける改良・アニュイティ・科学的学知
………… 坂本優一郎
はじめに
1 「改良」と「投資社会」
2 トンチンとアニュイティ
3 科学的学知
おわりに
第4章 ニュートン主義と薔薇十字団員の月世界旅行 ………… 長尾伸一
1 ニュートン主義の公共性と秘教性
2 世界の複数性・不可知性
3 迷宮の中の灯火
おわりに —— 理性の運命
第5章 啓蒙と神秘思想
—— ル・メルシエ・ド・ラ・リヴィエール
『幸福な国民またはフェリシー人の政体』における宗教 ………… 増田 真
はじめに
1 ル・メルシエ・ド・ラ・リヴィエールと『幸福な国民』
2 『幸福な国民』における人間論と政治
3 世界観と神秘思想
おわりに
第6章 恐怖政治と最高〈存在〉の祭典
—— 政治的なものの宗教と芸術 ………… 上田和彦
1 最高〈存在〉の祭典
2 革命政府の正当化と恐怖政治 ——「分派」の排除
3 恐怖政治から最高〈存在〉の祭典へ —— 浄化と再生
4 最高〈存在〉の祭典 —— 宗教と虚構の必要性
5 〈人民〉のイメージ —— 芸術の奸策
6 弁証法、供儀、芸術
第7章 言語の「脱魔術化」を超えて
—— ベンサムのフィクション理論 ………… 久保昭博
1 ベンサムと「啓蒙」
2 有害なフィクション —— レトリック批判と法的フィクション
3 功利主義とフィクション —— ベンサムの言語論と論理学
4 ベンサムと啓蒙 —— 再検討に向けて
Ⅱ 「啓蒙」への反動と展開
—— フランス革命から第二次世界大戦まで
第8章 「啓蒙」の完遂者ルソー
—— メーストルによる『社会契約論』批判 ………… 桑瀬章二郎
はじめに
1 「啓蒙」の精神
2 「立法者」概念の批判
3 全能の神の誘惑
第9章 コンドルセ vs トクヴィル
——《無限の完成可能性》の概念をめぐって ………… 富永茂樹
はじめに
1 トクヴィルの疑念
2 限界の消失
3 啓蒙の転回
4 平等の拡がり
おわりに
第10章 コンドルセからコントへ
—— 啓蒙の転換 ………… 北垣 徹
はじめに ——「タブロー」から「プラン」へ
1 コントからみたコンドルセ
2 歴史という認識
3 実証主義の思想
4 新たなる宗教
おわりに —— 過渡と混淆のなかで
第11章 アーノルドと教養
—— ヴィクトリア期における「啓蒙」………… 小田川大典
はじめに —— ヴィクトリア期における「教養」
1 精神と自然の分裂
2 自由の普遍史
3 教養と国家
おわりに
第12章 19世紀の果実、20世紀の種子
—— パストゥールについて ………… 田中祐理子
1 カンギレムとフーコー ——「医学史」をめぐる一つの対話
2 「19世紀におけるすべての医学理論の死」
3 パストゥールという思考装置
4 「生成、生命のすべて」
第13章 農民になりたい!
—— ナチスの収穫劇にみる脱啓蒙の思想 ………… 藤原辰史
1 「完全に啓蒙された村」からの脱出
2 祝祭とラジオの結合 ——『収穫感謝』の背景
3 『収穫感謝』のなかの「公共性の構造転換」
4 生命空間のなかの「変身」
おわりに —— 公共圏の生態学的転換のために
Ⅲ 「新たなる啓蒙」の模索
—— 第二次世界大戦以後
第14章 郷愁の啓蒙
—— アドルノの交響曲/室内楽論について ………… 岡田暁生
はじめに
1 交響曲の 「共同体形成機能」 —— パウル・ベッカーの音楽社会学について
2 「ベートーヴェン的なもの」へのアドルノのアンビバレンツ
3 礼節の弁証法 —— モーツァルトへの一瞥
4 「連弾で、今一度」—— 社会モデルとしての連弾
第15章 快楽と幸福のアンチノミー
—— ラカンの「カントとサド」をめぐって ………… 立木康介
はじめに
1 快と享楽 —— もしくは法と〈物〉
2 ヘドニズムとその限界
3 カントとサド
第16章 〈我々とは誰か〉あるいはフーコー最晩年の〈外の思考〉………… 市田良彦
1 啓蒙というパレーシア、あるいは牧人権力と〈我々〉
2 一つの問題系としてのパレーシア、あるいは1982年のフーコー
3 政治と哲学を分節するパレーシア
第17章 自生するものについて
—— アメリカ、20世紀をめぐる試論 ………… 田中祐理子
はじめに —— 二つの科学
1 新成人の出来 ——「アメリカ」の科学史
2 「バイオテクノロジー」の日常的実践 ——「アメリカ」の民族誌?
3 「自生する身体」からの問い
第18章 繊細と忍耐
—— コミュニケーション的合理性の〈運命〉………… 斉藤 渉
はじめに
1 目的合理性とコミュニケーション的合理性
2 Let’s Make Money
第19章 「終わりある啓蒙」と「終わりなき啓蒙」………… 佐藤淳二
はじめに ——「書物」とその外部
1 終わりある啓蒙 —— 問題としてのカントの公共性
2 啓蒙は終わるのか? —— カントからヘーゲルへ
おわりに ——〈ラディカルな啓蒙〉の運命と使命
あとがき
索 引
書 評
関連書
『マキァヴェリアン・モーメント』 ポーコック 著/田中秀夫・奥田 敬・森岡邦泰 訳