『近代書史』推薦のことば:高階秀爾氏「恐るべき書物」
『近代書史』推薦のことば:
高階秀爾氏「恐るべき書物」
石川九楊氏の『近代書史』は、鋭い洞察力と長大な射程を備えた恐るべき書物である。内容は、題名の示す通り、日本の近代書の歴史を辿ったものだが、 そこで取り上げられているのは、いわゆる書壇の書家たちばかりではない。むしろそれよりはるかに多くの頁が、政治家、画家、俳人、学者などの書に捧げられている。それは単に視野が広いというだけではなく、専門書家からは素人と見倣されがちなこれら知識人たちの達成のなかにこそ、近代の書の運命がはっきり見てとれるという明晰な歴史認識に基づいている。その判断は、ただちに日本近代の問題を直撃せずにはおかない。
明治初期以降の日本の近代化が、政治、経済、技術、学門から生活様式にいたるまで、あらゆる局面において西欧文明の圧倒的な影響のもとに展開されて来たことは、改めて指摘するまでもない。芸術表現においても、絵画、彫刻、工芸から建築、音楽、演劇などそれぞれの分野で、対応する西欧のモデルと対決し、受容、反撥、変貌を重ねながらその歴史を刻んで来た。だが書の場合だけは、いささか事情が異なる。東アジアの漢字文化圏で成立した書は、 それ故にこの地域特有のもので、西欧世界には対応するジャンルがない。書は時に「カリグラフィ」と訳されるが、単なる表音記号を装飾化したカリグラフィ は、書字のひとつひとつが明確な意味を担う書とはまったく異質のものである。対応する西欧のモデルを持たない書の世界では、西欧との対決はジャンルの枠を越えて全面的なものとならざるを得ない。書字の道具として毛筆に代わって尖筆が普及し、印刷術の発達が肉筆を草稿の地位に追いやるという社会的 変化が、書の変質にさらに拍車をかける。かくして近代書の運命は、日本の近代化過程の様相を鋭く浮かび上がらせるものとなる。
詳細な作品分析と的確な位置づけによって近代百数十年の書の歴史を跡づけた『近代書史』は、同時にまた卓越した文明批評の書でもある。本書を書の 愛好家のみならず、広く江湖の心ある人士に強く推薦する所以である。