『近代書史』推薦のことば:齋藤希史「書を読み開く」
『近代書史』推薦のことば:
齋藤希史氏「書を読み開く」
文字を書くことの根源を透視しようとするなら、書という営みの相対的安定が崩壊した近現代の書跡の森に分け入らねばなるまい。
指示された順路に書家の書が配置される美術館をそぞろ歩くのではない。旅館の一室に掲げられた明治元勲の扁額、手帳にペン書きされた近代詩、新聞に明朝体活字で掲載された遺書、それらすべて、文字なるものが世界を作ろうとする瞬間の表現が立ち並ぶ字跡の森に、わけ入らねばならない。近現代の書家の作もまた、その森においてこそ意味をもつ。石川九楊『近代書史』は、その森の存在と意義を初めて指し示した書物である。
漢字圏の一領域であった日本は、西洋およびアジアへの「開国」によって新旧東西の文字と言葉が交錯する地となり、漢字圏近代化の震源となった。 周知のことだろう。しかし、読むことと書くことの根柢たる文字を睨みつづけ、書に現れた微細な律動をすべて捉えて時代のうねりへと読み開こうとした者はいただろうか。語彙と文体の近代が活字印刷と同伴していたことは直観されていても、扁額や書簡の書跡がそれと共振して文字の近代のうねりを起こしていたことを、誰がつかみ得ていただろうか。石川九楊は疑いなくその先導者だ。
『近代書史』は、現代日本の私たちの文字と言葉が何に支えられているのか、何に引き裂かれているのか、それを知りたい者のために書かれている。 古代を想い描いて漢字の起源に遡るだけでは、おそらくその問いは満たされない。文字を書くことの根源は、幻視された古代文字の起源にではなく、むしろ眼前にある文字の書跡を読み開くことで現れる。毛筆はおろか肉筆で文章を書くことすら少なくなった時代だからこそ、私たちには見えるものがる。この書物は、そう訴えている。