内 容
近代的な立憲主義のもとで、多民族多宗教の統合をいかにして果たすのか —— 。個人に基礎をおく憲法体制と民族的宗教的少数集団の権利主張、共和主義と共同体主義、公と私が鋭く対立する中での国民統合・憲政運用という、今なお解きがたい問題に果敢に挑戦したオスマン立憲政のアクチュアルな試みを、膨大な史料から政治史的・思想史的に跡づけ、近現代の世界史像に修正をせまる、気鋭による力作。
目 次
凡 例
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序 論 オスマン帝国と立憲政
—— 課題と方法
第1章 組織、制度、思潮
第1節 前 史
第2節 公民的統合の諸相
1 国制 —— 立憲主義と主権の所在
2 「オスマン国民」理念と「諸民族の統一」
3 「政治的教養」
第3節 組織と制度
1 立憲的枠組み
2 議会外的枠組み
第4節 ギリシア正教徒共同体
1 組織と制度
2 複数の対立軸
第5節 小 括 —— 政治の公開化・複雑化
第2章 1908年総選挙から「立憲的改革期」へ
第1節 1908年総選挙
1 宗派別割当制選挙論
2 集権分権論議
3 総選挙の結果
第2節 民族政党問題
1 政党論
2 1909年6–7月、結社法案審議
第3節 小 括
第3章 「特権」と「平等」
第1節 特権問題の登場
1 問題の所在
2 1909年6–7月、憲法・徴兵令改定
3 1909年10–11月、特権論争
第2節 公教育省と「教育統一」
第3節 陸軍省の介入
1 1911年1月、徴兵法案審議
2 1911年1-4月、統一派分派問題と両党交渉
3 1911年5–8月、総主教座合同口上書と三相会議
第4節 小 括
第4章 正教会と立憲政
第1節 1910年1–3月、シノド改選問題
第2節 1910年2-5月、住民台帳法案審議
第3節 ギリシア・ブルガリア教会問題
1 教会法制定から「民族議会」招集問題へ
2 ギリシア人の論理と非ギリシア人の論理
3 正教徒共同体の分裂
第4節 ギリシア・ブルガリア「和解」
1 憲政倶楽部の政策転換
2 正教徒共同体の二極化
第5節 小 括
第5章 危機的な一年
—— 1912年総選挙からバルカン戦争へ
第1節 1912年総選挙
1 伊土戦争勃発から議会解散へ
2 選挙戦の諸相
3 正教徒共同体
4 総選挙の結果
第2節 1912年総選挙後の動向
第3節 統一派の下野からバルカン戦争へ
第6章 バルカン戦争後の変容
第1節 「二十世紀の十字軍」
第2節 統一派の再挑戦
第3節 国制の変革?
第4節 オスマン立憲政の遺産
結 論
あとがき
註
参照文献
索 引
書 評
『史学雑誌』(第123巻第2号、2014年2月、評者:秋葉淳氏)
『イスラム世界』(第79号、2013年3月、評者:新井政美氏)
『明大アジア史論集』(第17号、2013年3月、評者:伊藤彩氏)