『日本書史』推薦のことば:白川静氏
『日本書史』推薦のことば:
白川静氏「作品をして語らしめた記念すべき労作」
石川九楊氏の『日本書史』は、既刊の『中國書史』と併せて、東洋における最も深奥なる領域をもつ書道史の全体を構成する、記念すべき労作である。「記念すべき」というのは、画期的であることを意味する。従来の書道史は、概ね既存の書論的述作を時間的に排列して、書道史的外観を与えるに過ぎなかった。しかし氏の書史は、氏の懐抱する書の表現論を、書史の示す精神史的軌跡の解明に適用し、書史のもつ自己衝迫的な内面、そのいわば必然性を追求するところにあって、書史はいわば自己開示的に、その精神史的様相を明らかにする。記述的であるよりも、作品をして語らしめ、しかもその史的客観性を確かめようとするものである。
わが国の書史は、往々にして中国書史の反映的な意義の一面が強調され易いが、決してそれに留まるものではない。中国の書は、むしろ自己媒介的に揚棄されて、それはやがて著者のいう日本時代の書を創出する。早期仮名の雅健にして優美なる世界は、決して正草・狂草から直接に出たものではなく、また禅家の墨蹟の類も、その特異な精神的世界の表出として理解される。殊に白隠以後の、近代書史の系譜を予見するような書史については、氏の創見と認むべきものが多い。「途中乗車」「途中下車」という軽妙な表現によって、日本書史の特異性が平易に語られている。
近代書についての先駆的な試みは、わが国において極めて活発大胆に行われているが、中国においてはなお旧套を墨守する傾向が著しい。両国書道の交流が盛んな時期にあって、この書は日本書の書史的立場を明らかにするものとして、理論的にも日本書の将来に、一つの指標を与えるものとなるであろう。日本の書のためにも、また中国と併せて独自の芸術としての領域をもつ東洋の書の、その精神史的軌跡を明らかにするためにも、本書の刊行は極めて意義深いものであると考える。