『ストレスと筋疼痛障害』推薦のことば:小野雄一郎 氏
『ストレスと筋疼痛障害』推薦のことば:
小野雄一郎氏(藤田保健衛生大学医学部長兼公衆衛生学教授)
本書のテーマである慢性作業関連性筋痛症は、職場における作業関連性の筋骨格系障害、とりわけ非特異的な頸肩腕障害・腰痛症を主たる健康障害として包含している。
わが国の職場では1950年代末の「キーパンチャー病」を端緒として、頸肩腕障害への対策が重要な課題のひとつとなり、今日に至っている。頸肩腕障害を有する者の多くは身体的な痛みとともに職場と医師の無理解にも苦しんできた。その主たる背景のひとつは病態が不明なことであった。1970年初頭に日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会は、それまで混沌としていた本障害に対して頸肩腕障害の名称のもとに定義と病像分類を定めた。一方、1980年代以降海外においても同様の健康障害が社会問題化し、作業に関連して筋骨格系障害が生じるとの共通認識が世界的に形成されるに至った。今日、職場の腰痛をも含めて、このような障害は作業関連性の筋骨格系障害として包括されるようになった。2006年末、日本産業衛生学会頸肩腕障害研究会は、頸肩腕障害を上肢系作業関連性の筋骨格系障害に該当するものとして新たな定義を提唱した。そして、職場で問題となる筋骨格系障害は、特定の限定された部位に生じる独立した臨床疾患である「特異的な障害」よりも「非特異的な障害」が主体であると考え、その病像についても提唱した。
本書が注目される理由は、このような非特異的な作業関連性の筋骨格系障害の病態に関して多分野の最新の研究成果を提示し、多様な諸器官の病態をネットワークとして統合する病態モデルを提起したことにある。長年、生物学的基盤に立った病態の解明は大きな課題であり、突破の困難な壁であった。しかし、今日に至り非特異的な作業関連性の筋骨格系障害の病態に関する諸研究がようやく生物学的基盤に立った成果を実らせはじめた。本書はこれらの成果を一冊に網羅し体系化した書物であり、時宜を得た画期的なものであると同時に本研究分野の今後の重要な礎石となるものである。慢性的筋痛の病態生理学分野の先端的研究者の編著による本書は、筋、末梢神経、脊髄、大脳、自律神経系等を含む多様な病態のネットワークに関する統合的で深い理解を読者にもたらすに違いない。
私は本書の中心的編著者であるJohansson教授のウメオの研究所を1994年3月に訪問し、教授と本書の共同編著者であるDjupsjöbacka氏から実験の概要を教えて頂く機会を得た。私は被験動物1体あたり2日間をかける長時間の精緻な実験の取り組みに驚嘆させられた。その後も学会や研究会で時々Johansson教授にはお会いしたが、教授の精力的な研究の姿勢と着実な成果にはいつも感心させられた。本書の出版から間もなく教授が他界されたことは本研究分野にとって大きな損失である。しかし、本書を貴重な遺産として病態研究は必ずや今後大きく進展していくに違いない。
最後に、本書が関係者の多大な努力の成果として翻訳出版に至ったことに心より感謝したい。また、本書が臨床医を含む多くの読者を得て作業関連性の筋骨格系障害の病態に関する理解が広まることを期待し、さらには筋骨格系障害の病態研究に取り組むわが国の研究者層が広がることを願ってやまない。