『ストレスと筋疼痛障害』推薦のことば:中村蓼吾 氏
『ストレスと筋疼痛障害』推薦のことば:
中村蓼吾氏(中日病院手の外科センター センター長)
運動器の過労性障害は、下肢に比べ、上肢に発生することが多い。職業の労働負担により発生するだけでなく、スポーツ競技や楽器演奏にもよくあり、プロとして活躍している選手や演奏者に高頻度に発生する。これら過労性障害のうち、個々の運動器固有の疾患についての知見は多く、病態を理解しやすい。野球肩、野球肘、テニス肘、腱鞘炎、疲労骨折など治療についても多くの経験が積み重ねられてきた。
一方、局所的障害に中枢神経系や交感神経系が関与した過労性障害については、先人の努力にも関わらず、病態が不明瞭で治療も容易でない。ピアニストやゴルフ選手に見られるfocal dystonia(局所性に筋緊張が強くなる)では、罹患した手指の屈伸が合目的に行えず、演奏や競技を続けられなくなる。ピアニスト兼指揮者のLeon Fleisherが1965年発病し、種々の治療を受けて、40年後にようやく不十分ながら回復し、両手でピアノ演奏を再開したのが近年の話題になった。脳皮質の活動異常が関与していることが知られ、各種の治療が行われているが、効果的なことが少ない。
作業関連性筋痛症(作業性頸肩腕症候群)については、1960年代より日本で世界に先駆けて検討が行われたが、欧米での認知は遅れ、1980年代以降である。オーストラリアのテレコムで1983年より上肢の筋痛症の発生が急激に増加し、1985年にピークとなった。幸いその後、鎮静化した。この流行的発生と沈静化にはいろいろ議論がある。すべてではないにしろ、医療側が十分な作業関連性筋痛症の知識がなく、愁訴を基に診断しがちであったことが一因と考える。医療側が正しい理解をしていることが重要であることを教える事例であった。
アメリカ手の外科学会では本著の著者の一人でもあるSidney Blair先生、Morton Kasdan先生らが啓蒙を繰り返してきたが、1994年の集計では過労性障害がアメリカ合衆国で最も頻度が高く、多額の費用を要する職業性疾患である。また、筋痛を主訴とする疾患群で、中枢神経系、交感神経系の関与がいちばん強いのが作業関連性筋痛症であろう。
本書には、近年脚光を浴びている過労性筋痛症の基礎科学の、欧米と日本での研究の到達点がまとめられ、大変嬉しく思う。疼痛、過労性障害、筋痛症の基礎科学に携わる研究者、臨床家に必読の書である。著者は、スウェーデンのイェーヴレ大学筋骨格系研究センター故Håkan Johansson先生をはじめ、上に述べたアメリカのロヨラ大学整形外科Sidney Blair先生ら、いずれもこの方面のトップの研究者である。過労性筋痛症についての過去の知見を集大成するとともに、その発症機序についての神経系、作業負担、微細血行、精神面などの最新の研究成果を詳述し、この方面の研究に欠かせない書であるとともに、診療に当たる医師が、予防方法や治療方法を選択するに役立つ書である。