『近代書史』:第36回「大佛次郎賞」受賞のことば
受賞のことば:「触覚なき文字はない」
学生時代から、どう言えば書の本質をつかみ、多くの人に理解してもらえるかと考え続けてきました。
文字を構成する一点一画とは、長さや幅、墨の濃さ、色といった造形ではなく「触覚」のかたまりである。作者の意識や思考が、言葉へと姿を変えていく現場としての触覚です。これがいま、書をもっともよく表す言葉だと考えています。
意識が肉体を震わし、外に出ることで一つの言葉が生まれる。話し言葉なら声を通じて生まれ、書き言葉なら、触覚を通じて初めて文字が生まれ、文章、文学が生れます。
パソコンによる作文は、触覚なしに成立しますが、非常におそろしい問題を含んでいます。肉体的、精神的な行程をすっぽり抜いて、一種の奇怪な機械操作によって文字があらわれ、つなぎ合わさって文章ができる。
書くことなどどうでもいいと軽んじる風潮に、今の日本の文化的な危機が隠れているように思います。触覚のない書き言葉は、本来はないのだと思うのです。