太田出『関羽と霊異伝説』「あとがき」から

太田出『関羽と霊異伝説』
「あとがき」から

 私は小学生(高学年)ないし中学生の頃から『三国志』が大好きだった。普通ならば、吉川英治の『三国志』を読むのが王道であろうが、私の場合は父親から薦められた立間祥介の訳本を読みふけっていた。もちろん、横山光輝のマンガ『三国志』も同時並行で読みすすめ、新刊が出るとただちに購入するほどだった。劉備・関羽・張飛の活躍に胸を躍らせ、諸葛亮と司馬懿の対決に夢中になっていた。だれがどの場面でどのように戦い、いかにして死んでいったのか、いつの間にかすべて覚え、さらに関連本をも貪り読むようになった。当時は現在のような「三国無双」などのゲームこそなかったものの、いま振り返れば、いやはや、まさに立派な三国志オタクである。
 三国志に綺羅星のごとく登場する英雄たちのうち、私が最も好きだったのは関羽だった。三国志オタクならば、私の気持ちを理解し共感してくださる方も多いであろう。主人公・劉備と桃園の義を結び、「漢室の復興」を旗印として苦難の戦いを続けた後、ようやく蜀漢を建国しようとした矢先、麦城で非業の死を迎えた。そうした関羽の生き様に共鳴し、あこがれを抱いた読者は少なくとも私だけではないはずだ。
 大学の卒業論文でも、私は蜀漢政権の構造について取り上げ、同政権における官吏任用と家柄の関係を論じた。どうしても『三国志』を学術的に研究してみたかったのである。三回生に上がった頃にはすでに卒業論文に着手していた記憶がある。現在の目でみれば、それは非常に拙い内容であったとは思うが、当時は大変満足し、あきれたことに大学院にまですすもうと決心した。
 しかし、研究環境の変化や学界全体の動向などさまざまな理由もあって、大学院進学後には三国志研究者への道を断念し、1000年以上も下った明清時代史研究に没頭するようになった。三国志研究の夢は胸の奥深くしまい込まれたのである。

 ところが、約7年後、その夢はひょんなことから再び顔を出し始めた。1995年9月から2年間におよんだ、中国人民大学清史研究所における留学時、私は毎日のように中国第一歴史檔案館に赴き、当時研究していた清代の漢人軍隊=緑営兵に関する文献史料を閲覧していた。来る日も来る日も軍事関連の史料を見ていたのであるが、ある日ふと反乱鎮圧に向かった緑営兵の戦況報告に目をやると、本文中でも紹介したように、「突然、空がかき曇り、砂を巻き上げ、恍惚とした状態のなか、空中に関羽が出現した」という主旨の記事に偶然に出くわした。「これは何だ? 関羽が出現した?」興奮し半信半疑の状態で、あわててこの文章をノートに書き取った。これが関羽との劇的な再会であった。私は大好きな関羽が没後1000年以上のときを超えて再び中国に姿を現したことに感動し、同様の記事を探し求めた。すると、想像以上にこのような関羽の奇跡譚が残され、かつ皇帝や文武官僚が真剣に関羽による加護を語りあい、祭祀・儀礼を執り行い、あたかも「劇場国家」の様相を呈していることがわかってきた。「明清時代の王朝国家と関羽の関係は研究に値する」、そう直感した私の心のなかにも再び関羽が出現したのであった。運命的な再会といえようか。

 その後、大阪大学に提出した博士学位請求論文では、本編で緑営兵を —— こちらは『中国近世の罪と罰』(名古屋大学出版会、2015年)としてすでに刊行した —— 、附編で関羽の奇跡(霊異伝説)をそれぞれ取り扱った。卒業論文執筆時の夢は再び博士学位請求論文のなかで開花したのである。
 そして私の長年の夢がかなう日がついにやってきた。本書の出版である。関羽とその霊異伝説を学術的な手法で分析し、関羽が中国史、いやユーラシア史のなかでいかなる役割を果たしてきたのか、ようやくここに一試論を書き上げ、研究成果を世に問うことができたのである。我ながら三国志オタクもここまでできればたいしたものだと褒めてあげたい。

 ここまでは、あくまでも個人レベルの趣味からの話であるが、歴史学の研究対象としてみた場合、死後の関羽に対する信仰は、信仰者一個人から皇帝あるいは王朝国家までを含む階層を視野に収めうる幅広い裾野をもった、きわめて興味深い研究テーマの1つであるといってよい。かつては出身地の山西省を中心としたちっぽけな地方神にすぎなかった関羽が、いつのまにか帝国としての清朝の版図全体に拡がっただけでなく、その外側へも溢れ出し、現在では世界各地に持ち出されている。日本はもちろん、モンゴル、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポール、タイ、ロシア(極東)、カナダといった国々にもすでに関帝廟の存在が確認できている。今後、機会があれば、想像をはるかに超えて世界大にまで拡がっていった、関羽の加護のもとにある “われわれ” の世界の全体像とその存在意義について描き出してみたいと考えている。このような構想から見れば、私の三国志研究もまだ夢半ばなのかもしれない。………………

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