「日本語版への序」 (『世界史のなかの産業革命』)

R.C.アレン著 『世界史のなかの産業革命』
「日本語版への序」 から

 産業革命は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、イギリスで始まった。それは、とても昔の、遠い世界の話であると思われるかもしれない。しかしながら、21世紀の日本の読者にとって、産業革命は知っておくべき必要のあることなのである。なぜ知らなければならないのか、その深い理由を説明しよう。

 産業革命は、経済成長の近代的局面の始まりであり、現代社会を創造する最初の一歩であった。産業革命の前から製造業は普及していたけれども、それは文字通り 「手工業」 を意味していた。技術は単純なもので、作業を行う男女の労働者の筋力で動かされる仕掛けがほとんどであり、糸車と手織り機は、もっとも一般的な道具であった。このような状況は、工場の発明によって一変した。工場の中枢で生み出された動力を使って、機械を動かした最初の工場は、綿紡績工場であった。1780年代に、何百もの綿紡績工場が建設され、19世紀初めには、織布工程も動力によって工場でなされるようになった。蒸気機関が発明され、金属溶鉱・精錬業は、小規模な鍛造所から変貌し、巨大な溶鉱炉や圧延工場でなされるようになった。さらに、産業革命が引き起こした変化のなかでもっとも広範囲に及ぶ影響を生み出したのは、組織上の変革である。研究開発は、それまでは職人の余技として散発的になされるものであったが、産業革命以降は事業の成功に欠かせない継続的な活動となった。社会全体が、持続的で長期的な経済成長のプロセスへと乗り出したのである。

 なぜ産業革命はイギリスで起きたのか。当時のイギリスの制度はどちらかといえば近代的であり、イギリスの文化は進取の気性を奨励するものであった。しかしながら、このような制度・文化面では、イギリスがとくに際立っていたわけではない。世界の他の地域や国々とイギリスとの大きな違いは、イギリスにおける生産投入要素価格の構造が独特であったということである。イギリスでは、比較的賃金が高く、燃料は安価であった。この価格構造は、17世紀と18世紀前半に築き上げられた貿易帝国から結果的に生み出されたものである。イギリスは、インドとカリブ海、将来合衆国となる北米の東海岸に重要な植民地を獲得した。これらの植民地は豊かで、イギリス製造業のための広大な商品市場となり、イギリスの上流階級を豊かにするに十分な巨額の利潤を生んだ。植民地との貿易の活性化が、イギリスの港湾都市における高賃金、急速な都市化、農村工業の拡大、農業革命、そして新たな都市に燃料を供給するための石炭業の発達を促した。

 高賃金と安価な燃料は、産業革命の機械を発明する経済的誘因となった。多くの機械は、資本の利用を増やし、労働を節約することを目的に発明された。最初の紡績機械も労働力を節約するために発明されたが、あまり大きな節約にはならなかった。雇用を削減するためには、たくさんの資本が必要だったのである。結果的に、そのような機械は賃金水準が高いところ、つまり必要となる巨額の投資よりも労働力の節約で生まれる価値のほうが大きい国や地域の外では、利益を生むことができなかった。

 同じ論理で、なぜ日本で産業革命が起きなかったかを説明することができる。日本には、生産性の高い農業や、巨大都市、比較的教育水準の高い人口など、多くの先進的な特徴が見られたが、賃金水準は極めて低い経済であった。徳川幕府の経済政策は、産業革命以前のイギリスの経済政策とは、全く逆であった。イギリスがグローバルな帝国を築き上げ、高賃金経済を生み出していた頃、日本は外国貿易に対して厳しく鎖国政策をとっていた。その結果、日本は低賃金経済となり、機械の発明は経済的に割りに合わないものとなってしまった。労働力が安価な時代に、労働力を節約するために投資をする必要があっただろうか。

 同様の経済的誘因は、燃料の利用に関しても見られた。産業革命のもっとも重要な発明の一つが蒸気機関であった。最初の紡績機械と同様に、最初の蒸気機関は極めて効率が悪く、大量の燃料を必要としていた。蒸気機関の主な利用先は、炭鉱の地下水を汲み上げる揚水ポンプを動かすことであった。初期の蒸気機関は、炭鉱から出るクズ炭、つまりタダ同然の燃料を使って動かされたので、費用対効果が高かった。他のやり方では、割りに合うものではなかった。

 燃料価格は、他の技術の進化にも影響を与えた。陶磁器の皿や茶碗や壺は、イギリスでも日本でも生産されていた。イギリスでは、陶磁器は製陶窯の下部で石炭を燃やして焼成した。この窯の設計は、燃料効率が悪かったが、建設費用は安価であったので、資本を節約することになった。日本では、反対に、倒炎式登り窯が山の斜面に作られ、下方の部屋で生じた熱風が、山の斜面の上方のいくつもの部屋に行き渡り熱するようになっていた。製陶技術は、燃料、資本、労働の価格の違いに応じて、イギリスと日本では違う発展の形態をとった。

 イギリスの産業革命は、世界中のあらゆる国々を経済的に発展させることのできる技術をつくり出した。しかしながら、技術がすみやかに普及することを阻む、さまざまな障害もあった。19世紀前半には、西ヨーロッパが工業化に向けての最初の一歩を踏み出した。西ヨーロッパでは、制度の近代化を進め、経済的な阻害要因を取り払わねばならなかった。イギリスの工場は、ヨーロッパの手工業者だけでなく、大陸で新しく建設された最初の工場に対しても、競争的に優位であった。そこには2つの問題があったからである。第1に、機械の導入により雇用を削減して費用を抑えることができても、それはより多くの資本を使うことで費用が増大するための相殺されてしまうということである。イギリスで発明された機械は、労働力が比較的安価なヨーロッパでは費用の点で割りに合うものではなかった。よって、機械の技術的な再調整が必要であった。第2に、イギリスでは他国に先行して機械化が進んでいたため、ヨーロッパの工場で最初の採用された労働者よりも、すでに生産性の高い労働力が確保できていた。それゆえ、ヨーロッパで工場制生産を始めるためには、輸入関税の導入が必要不可欠であった。アメリカ合衆国と西ヨーロッパ諸国は、①幼稚産業を守る輸入関税を導入し、②巨大な国内市場を統合し、③産業投資を行うための金融制度を整備し、④普通教育制度を創設することで、この問題の解決に成功した。

 アジア、アフリカ、ラテンアメリカは、より困難な状況にあり、成功することはまれであった。イギリスからの輸入品はあまりにも安価であったため、これらの地域の手工業者の多くが廃業を迫られることとなってしまった。これらの地域の経済は、農産物輸出に特化するように再編されることになった。現代でいうところの 「低開発国」 とは19世紀につくり出されたものなのである。大英帝国の成功の裏面にこのような発展途上国誕生の物語がある。

 アジアやアフリカが必要としていたのは、貧困を撲滅し、所得水準を押し上げるための、イギリスの技術であった。しかしながら、近代的な機械を輸入するのは必ずしも割りに合うものではなかった。逆説的なことに、資本に対して労働があまりにも安価であると、機械を導入する意味がないということになるからである。つまり、賃金水準があまりにも低いと、機械導入によって節約される労働力の費用よりも、増大する資本の費用のほうが大きくなってしまうからである。

 さらに、アジアやアフリカでは、アメリカ合衆国や西ヨーロッパ諸国で工業化のために利用できた輸入関税やその他の経済政策は、採用することができなかった。これらの地域の多くが、帝国列強によって、インドのように植民地化され、工業を推進する政策の採用が阻まれていたからである。あるいは、日本や中国、オスマン帝国やペルシャ帝国の場合のように、「不平等条約」 を押し付けられ、工業化を推進するための輸入関税を導入する権限を制限されていたからである。

 日本は、もちろん、このような成功の見込みがない環境で、大きな成功を収めた例外的事例である。日本は、西洋の列強が先駆的に開発した政策を採用し、不平等条約により制限されていた関税政策以外の面で、とりわけ大衆教育や近代的な金融制度の導入で成功を果たした。

 さらに、日本は以下の2点において、極めて独創的な展開を見せた。第1点目は技術に関することである。日本は19世紀中頃には極めて低賃金の国であり、他のアジアやアフリカの低賃金国と同様に、資本集約的な機械を輸入するにあたって、同じような問題に直面していた。しかしながら、日本はこの問題に対して、極めて創造的に対処し、イギリスの技術 (たとえば紡績機) を改変して、低賃金の環境で費用対効果が出るように全く作り直してしまった。

 日本が革新的であった第2点目は、制度に関することである。輸入関税は工業化の推進に利用できなかった。その代わりに、日本政府は政府の資産と人的資源を投入して革新的な産業部門を保護育成した。「戦略的産業政策」 の始まりである。これら2点における革新的な努力のおかげで、他の国々が停滞している最中に、日本は経済的に発展することができたのである。

 日本の経済発展における成功は、それに先立つイギリスにおける成功を理解せずして、理解することはできない。イギリスの成功は、日本が19世紀後半に経済的繁栄への第一歩を踏み出す際に必要となった技術をもたらした。同時に、イギリスの成功は、日本の経済発展を阻む要因をもたらしてもいる。イギリスの成功が生み出した経済競争と軍事力は、不平等条約の押し付けにより、日本の政策的選択肢を狭めてしまった。

 日本がいかにしてこのような状況に対処したかを考えるとき、日本の発展とイギリスの成功を支えた双方における制度的な違いに目を向けざるをえない。イギリス自体は、工業化のための政策を持っていなかった。なぜなら、産業革命が完了するまで、工業化という概念そのものが存在していなかったからである。日本や後発の国々が取った工業化政策とは違うものであったが、イギリスが当時どのような政策を取っていたかについても知っておくとよい。国内的には、イギリス政府は私的所有権を保護して、自由市場を創設した。対外的には、重商主義と植民地主義が 「自由貿易帝国」 を生み出し、イギリスの産業に利益をもたらした。その一方で、大衆教育と技術革新を奨励するための政策がなかったことは明らかで、これらが存在していなかったことがその後19世紀後半以降のイギリスの発展にとって阻害要因となった。

 日本人の目でイギリスの歴史を読み直すことで、社会組織の面 —— 生産や事業がいかに組織されているか —— や、経済文明の将来的な方向性 —— 経済や社会がいかに相互作用的に構築されるか —— に対して、さまざまな疑問が湧いてくることであろう。

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2026年1月30日出来予定

揺らぎの中の遺伝情報

藤城 新・笹井理生 著
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アヘンの近世

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カラヴァッジョ(第4刷)

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ジョエル・モキイア 著
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天皇の軍事輔弼体制(第2刷)

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中国共産党の神経系(第2刷)

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現代気候変動入門(第2刷)

アンドリュー・E・デスラー 著
神沢 博 監訳/石本美智 訳
税込3,850円/本体3,500円
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ISBN 978-4-8158-1130-3
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日本経済の歴史[第2版](第2刷)

中西 聡 編
税込2,970円/本体2,700円
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自我の源泉(第6刷)

チャールズ・テイラー 著
下川 潔・桜井 徹・田中智彦 訳
税込10,450円/本体9,500円
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日本統治下の台湾(第3刷)

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2025年8月22日出来

異文化への視線[リ・アーカイヴ叢書]

佐々木英昭 編
税込2,970円/本体2,700円
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質的研究の考え方(第8刷)

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デューイの探究教育哲学[リ・アーカイヴ叢書](第3刷)

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哲学者たちの天球(第3刷)

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