「まえがき」(『大沢流 手づくり統計力学』)
大沢文夫著『大沢流 手づくり統計力学』
「まえがき」
この本は、統計力学への入門を意図しています。統計力学には多くの入門書があり、参考書があります。ところがこの本は入門書ではありますが、普通の統計力学の本とは門の入り方が少しちがいます。門は誰でも気がるに入れるようになっており、門を入った庭には粒子が漂っていて、集団になって動いているように見えます。
統計力学では、非常に多くの粒子が集まってめいめい自由に動いているとイメージすることがあります。この本の庭でばらばらに動いているのは、それに比べるとごく少数の粒子です。そこでの各粒子の動きと、これら少数の粒子の全体としての動きを同時に見ようというのです。そのために、粒子のばらばらとした動きに対応する “サイコロ” と、粒子の持つエネルギーに対応する “チップ”(サイコロの目の数に従ってやり取りする)との動きを追いかけてみます。そして、いろいろな設定でサイコロを振ってチップの分配のされ方を見ると、意外な状況が次々に現れるので、“プロ” の研究者でもびっくりする人が多いです。この意外性の中に統計力学の神髄がふくまれています。そこの面白さをじっくり、自分(達)でサイコロを振りながら観察してほしいのです。“手づくり統計力学” はそこから現れます。
さらに、統計力学の基本的な概念であるエントロピーの定まり方や自由エネルギー、温度などの話もこのサイコロとチップから現れます。集まりの中の粒子1個1個の動きと全体の動き、その動きの変化の速さを見ますと、それらの概念が自然にわかってくると思います。いくつかの単純な力学的な系に関して実際に手を動かして解いてみて、他の統計力学の教科書がいうところと比べてみてください。統計力学は実は少数系の正確な力学的扱いからもわかってくるのです。力学的な例をあげながらいろいろな問題を解いてみます。すると、例えば “温度” が現れます。この温度を使い、実際の枝や棒や、かたいもの、やわらかいものが比べられます。生物や物理の研究の世界で現実に “今” の問題になっているおもしろい見方や考え方が次々に現れます。その基本を理解していただけたらありがたいと思います。
問題は一見 “統計力学” と直接関係がないように見えるところにまで拡げられます。そして、ブラウン運動の話と調和関数の話とが直接つながるというかつての大発見まで至ります。そこで出てくるブラウン運動の1次元、2次元、3次元での定性的差が数学的に理解されると同時に、サイコロを振る実験でもこれらを “実現する” ことができます。
要するに基本はサイコロとチップをもって、自分で(数人で)サイコロを振りながら結果を見て “なるほど” と直感的に納得してほしいのです。
この本にはずいぶんと難しい問題も出てきます。ファインマンのラチェット(爪車)もその1つです。そういった難しい問題を完全に理解できなくても、その本質について理解することから各自が行っている “実験” につながるいろいろなアイデアが出てくると思います。この本を読んで、実践して、そこまで進んでくれれば、広い意味での「統計力学」が手の中に自然と入ってくるのではないでしょうか。研究はいつでも “面白い”、“びっくりする” ことから始まります。必ずしも難しい理論や実験からだけではなく、手軽にサイコロを振ったり、簡単な計算を “自分で” やったりすることからも始めることができるのです。
この本はそういう方向をめざして書いたもので、“わかりやすい”、“楽しめる”、“何でも自分の手で” を旗印に掲げたものです。よみ手の専門分野を問わず、物理学、物理一般、一般科学、人文科学、その他もろもろの研究者でない人々をも対象にしたつもりです。実際、この本の内容の元になった一般向けの講座では、普段物理や数学とは無縁な一般のおくさま達や事務職の人達も十分に興味をもって、その精神を理解してくれました。
本書が広く読まれることを期待しています。
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