『イギリス思想家書簡集 アダム・スミス』細目次
『イギリス思想家書簡集 アダム・スミス』細目次
監修者の言葉
凡 例
略称一覧
第1章 学生および教授としてのアダム・スミス
a オックスフォード大学留学
1 ウィリアム・スミス宛 1740年8月24日〔オックスフォード大学批判〕
2 母親宛 [1740-46年]〔お金の心配〕
3 母親宛 1741年10月23日〔アダベリ滞在の報、靴下の催促〕
4 母親宛 [1742年]5月12日〔スネル奨学生空席の件〕
5 母親宛 1743年11月29日〔激しい怠惰の気分〕
6 母親宛 1744年7月2日〔タール水の効能〕
7 [シオフィラス・リー博士]宛 1748/9年2月4日〔スネル奨学金辞退〕
b グラズゴウ大学教授
8 [ロバート・シムスン]宛 1751年1月10日〔論理学教授選任の受諾〕
9 ウィリアム・カレン宛 1751年9月3日〔病気の道徳哲学教授クレイギの代行〕
10 ウィリアム・カレン宛 1751年11月火曜日〔論理学教授の後任とヒューム〕
11 [ジョージ・ストウン博士宛 1755年2月14日]〔アンダスン教授問題〕
12 ウィリアム・ジョンストン宛 1758年8月19日〔「グラズゴウ美術学院」の設立の
援助計画〕
13 アンドルー・ステュアート宛 [1760年3月13日]〔奨学金問題解決策〕
14 ウィリアム・ジョンストン宛 [1752-63年3月か4月]月曜日〔来訪期日の調整〕
15 ジョシュア・シャープ宛 1761年11月2日〔スネル奨学金をめぐるベイリオル・コ
リッジとの協約問題〕
16 ジョシュア・シャープ宛 1762年6月15日〔スネル奨学生の苦情問題〕
17 デイヴィッド・ヒューム宛 1763年12月12日〔バクルー公爵の旅行付添家庭教師受
諾〕
18 トマス・ミラー宛 1764年2月14日〔教授職辞任〕
19 アーチボールド・デイヴィッドスン博士宛 1787年11月16日〔グラズゴウ大学総長
就任受諾〕
20 アーチボールド・デイヴィッドスン博士宛 1788年7月16日〔大学への助成金契約更
新問題〕
c 旧学友(元スネル奨学生)宛書簡
21 ジェイムズ・メンティース博士宛 1785年2月22日〔子息チャールズの教育環境、エ
ディンバラを推薦〕
22 ジェイムズ・メンティース博士宛 1788年9月16日〔子息の教育環境、スミスの従姉
ジャネットの病状〕
23 ジェイムズ・メンティース博士宛 1789年2月2日〔子息の言語療法〕
24 ジェイムズ・メンティース博士宛 1789年5月9日〔子息の言語療法の進展度〕
25 [ジョン・ダグラス主教]宛 1787年3月6日〔ロバート・ビートスンの紹介、大厄年
に言及〕
第2章 貴族の子弟教育
a 初代シェルバーン伯爵次男トマス・フィッツモリスらの教育
1 シェルバーン伯爵宛 1759年3月10日〔トマスの勉学状況、生活態度の報告〕
2 シェルバーン伯爵宛 1759年4月4日〔トマスの教育計画、伯爵の祖父ウィリアム・
ペティに言及〕
3 シェルバーン伯爵宛 1759年10月29日〔金銭の支出、トマスの性格描写〕
4 シェルバーン伯爵宛 1759年12月3日〔トマスの規律順守、愛好科目〕
5 シェルバーン伯爵宛 1760年3月10日〔トマスの病状、ブラックによる放血療法〕
6 シェルバーン伯爵宛 1760年3月12日〔トマスの病状、ブラックによる治療〕
7 シェルバーン伯爵宛 1760年3月17日〔トマスの病状、ブラックによる診断〕
8 シェルバーン伯爵宛 1760年3月19日〔トマスの病状、回復報告〕
9 シェルバーン伯爵宛 1760年7月15日〔スミスの病状、小旅行、トマスの性格にもと
づく将来像〕
10 シェルバーン伯爵宛 1760年11月11日〔トマスの眼病、ヒル療法〕
11 シェルバーン伯爵宛 1760年11月18日〔トマスの眼病〕
12 シェルバーン伯爵宛 1759年7月23日〔伯爵の友人の子息たちの教育、トマスのエ
ディンバラでの気晴らし〕
13 シェルバーン伯爵宛 1759年8月31日〔スミスの教育理念の表明〕
関連書簡
ⅰ スミス宛トマス・フィッツモリス書簡 1762年2月26日金曜日〔トマスの勘定説明
書、ブラックストンの講義、ラウスの『英文法』〕
b 第3代バクルー公爵およびその弟の教育
14 チャールズ・タウンゼンド宛 1759年9月17日〔バクルー公爵のための書物発送〕
15 [アーチボールド・キャンブル]宛 1759年10月24日〔注文書物リストとその勘定書〕
16 [アーチボールド・キャンブル]宛 1760年1月9日〔書店キンケイド宛代金支払い依
頼〕
17 チャールズ・タウンゼンド宛 1766年8月26日水曜日午後5時〔バクルー公爵の病状、
ケネーとラ・ソーヌによる診察〕
18 [チャールズ・タウンゼンド]宛 1766年8月27日木曜日午後6時〔バクルー公爵の病
状、ラ・ソーヌによる放血療法〕
19 レイディ・フランシス・スコット宛 1766年10月15日水曜日夜11時〔バクルー公爵
の弟ヒュー・スコットの病状、トロンシャンの往診〕
20 [レイディ・フランシス・スコット]宛 1766年10月19日〔ヒュー・スコットの死亡
報告〕
21 ジョン・クレイギ宛 1767年6月26日〔年金受領報告〕
22 アーチボールド・キャンブル宛 1768年12月25日〔代理人への支払い依頼、スコット
一族首長への権利要求事件〕
関連書簡
ⅱ スミス宛バクルー公爵書簡 1780年11月26日〔関税委員空席の件〕
ⅲ スミス宛バクルー公爵書簡 1790年2月24日〔故ウィリアム・カレンの娘たちへの年
金、友情への感謝〕
c ファーガスン(旅行付添家庭教師)問題をめぐる書簡
23 スタナップ伯爵宛 1775年6月24日〔ファーガスンの生徒第5代チェスタフィールド
伯爵の義務の履行〕
24 スタナップ伯爵宛 1777年3月29日〔チェスタフィールド伯爵へ会見の申し込み〕
25 スタナップ伯爵宛 1777年4月2日〔ジョージ・サヴィル卿との会談内容の報告〕
26 スタナップ伯爵宛 1777年4月5日〔後見人によるチェスタフィールド伯爵訪問計画、
保証書の保管をファーガスンに確認〕
27 スタナップ伯爵宛 1777年4月8日〔保証書の写しの送付〕
28 スタナップ伯爵宛 1777年4月19日〔ウェダバーンとの会談予定〕
29 スタナップ伯爵宛 [1777年]4月20日〔チェスタフィールド伯爵との会談予定〕
30 スタナップ伯爵宛 1777年5月8日〔チェスタフィールド伯爵との会談不首尾〕
31 マーン卿宛 1777年5月14日〔ウェダバーンの意見が示された手紙の提示〕
32 スタナップ伯爵宛 1777年5月24日〔ウェダバーン書簡に言及〕
33 スタナップ夫人宛 1777年6月14日〔葉書の礼状、スコットランドへの帰郷予定〕
関連書簡
ⅳ スミス宛ジェイ[ムズ]・チャーマ書簡 1777年4月7日〔保証書の写しの送付通知〕
ⅴ アダム・ファーガスン宛スタナップ伯爵書簡 1777年4月6日〔保証書の写し〕
ⅵ スミス宛アダム・ファーガスン書簡 1777年4月12日〔保証書の写しをめぐる議論〕
第3章 『国富論』の形成
a 初版に向けて
1 ヘイルズ卿宛 1769年1月15日〔一進一退の研究計画〕
2 ヘイルズ卿宛 1769年3月5日〔法学研究への接近方法〕
3 ヘイルズ卿宛 1769年3月12日〔穀物価格文書への礼状〕
4 ヘイルズ卿宛 1769年5月16日火曜日〔ヘイルズ卿の書物『検討』への礼状と所見〕
5 [ヘイルズ卿]宛 1769年5月23日〔穀物価格文書の返却〕
6 ウィリアム・パルトニ宛 1772年9月3日〔ジェイムズ・ステュアートの誤った原理〕
7 ウィリアム・カレン宛 1774年9月20日〔医学の学位審査問題、大学教育問題〕
b 第3版に向けて
8 トマス・カデル宛 1782年12月7日〔商事会社史の追加〕
9 ウィリアム・ストラハン宛 1783年5月22日〔大蔵次官クーパからの文書待ち〕
10 ウィリアム・ストラハン宛 1783年10月6日〔4カ月の休職願いの断念〕
11 [ウィリアム・ストラハン]宛 1783年11月20日〔ロンドンに向かう計画〕
12 [ウィリアム・ストラハン]宛 1784年6月10日〔校正の返却、母親の死去に言及〕
13 [トマス・カデル]宛 1784年8月10日〔『国富論』第3版の献本先〕
14 [トマス・カデル]宛 1784年11月16日〔献本先の追加〕
15 [トマス・カデル]宛 1784年11月18日〔索引の受領〕
第4章 スコットランド関税委員就任
1 ウィリアム・ストラハン宛 1777年10月27日〔関税委員の候補者〕
2 ウィリアム・ストラハン宛 1777年12月20日〔正式な任命情報の打診、『国富論』
第2版の献本〕
3 ウィリアム・ストラハン宛 1778年1月14日〔任命手数料、『国富論』第2版献本の
追加〕
4 ジョン・スポッツウッド宛 1778年1月21日〔業務代行謝辞〕
5 ウィリアム・ストラハン宛 1778年2月5日〔委任状到着〕
6 [グレイ・クーパ卿]宛 1778年2月5日〔任命状への謝辞〕
7 [宛先不明] 1782年9月〔船頭就職志願者の資格不適合〕
8 ジョン・デイヴィッドスン宛 1783年2月25日〔税関吏の空席〕
9 [グレイ・クーパ卿]宛 1783年6月2日〔新税へのコメント、奨励金に関する報告書の
件〕
第5章 出版業者宛書簡
a ストラハン父子宛
1 ウィリアム・ストラハン宛 1760年4月4日〔『道徳感情論』第2版のための追加訂正分
の送付、フックの著作をめぐる合邦の評価〕
2 ウィリアム・ストラハン宛 1760年12月30日〔『道徳感情論』第2版の正誤表、「言語
起源論」原稿に言及〕
3 ウィリアム・ストラハン宛 [1766-67年冬]金曜日〔『道徳感情論』第3版末尾に
「言語起源論」を追加〕
4 [ウィリアム・ストラハン]宛 1767年8月30日〔王立協会書記モートン氏への支払い
依頼〕
5 [ウィリアム・ストラハン]宛 1776年6月3日〔アメリカ問題〕
6 [ウィリアム・ストラハン]宛 1776年7月6日〔ヒュームの病状、キャンブル『レト
リックの哲学』に言及〕
7 ウィリアム・ストラハン宛 1776年9月5日〔ヒュームの遺稿2点、ヒューム『自伝』
への付記の提案〕
8A ウィリアム・ストラハン宛 [1776年10月]〔『対話』と『自伝』の分離出版〕
8B [ウィリアム・ストラハン宛 1776年10月]〔ヒューム『自伝』へのスミスの付記
完成〕
9 ウィリアム・ストラハン宛 1776年11月9日〔死の病床中のヒュームの態度〕
10 ウィリアム・ストラハン宛 1776年11月13日〔ヒューム『自伝』付記の送付、『国
富論』第2版の計画〕
11 ウィリアム・ストラハン宛 1776年12月2日〔ヒューム書簡の出版に反対〕
12 [ウィリアム・ストラハン]宛 1780年10月26日〔ウォットの複写機購入、『国富論』
第2版の献本〕
13 アンドルー・ストラハン宛 1785年9月29日〔ジョン・ロウガンの紹介〕
14 アンドルー・ストラハン宛 1786年2月13日〔シャープ氏の就職先斡旋、『国富論』
第4版に言及〕
b トマス・カデル宛
15 トマス・カデル宛 [1767年]3月25日〔4箱の書物をキンケイド書店気付で送付依頼〕
16 [トマス・カデル]宛 [1780年]10月25日〔アンケア、ホルト、ドレービへの『国富
論』第2版献本依頼〕
17 トマス・カデル宛 [1780年]〔ロス夫人宛に『道徳感情論』と『国富論』の献本依
頼〕
18 [トマス・カデル]宛 1784年6月19日〔モルレの『国富論』仏訳書の確認、王立協会
会報の注文〕
19 トマス・カデル宛 1786年5月7日〔ブルースの著作の推薦〕
c アンドルー・ミラー宛
20 アンドルー・ミラー宛 1766年10月〔パリからヒュームへのことづけ、終の住処の
件〕
第6章 アダム・スミスからの紹介状
1 ジェイムズ・オズワルド宛 新暦1752年1月19日〔ウィリアム・ジョンストンの紹介〕
2 [ギルバート・エリオット]宛 1757年9月7日〔ウィリアム・カリの紹介〕
3 [ミルトン卿]宛 1757年10月〔グラズゴウ大学東洋語教授へのウィリアム・ウィルキ
の推薦〕
4 ウィリアム・ジョンストン宛 1762年3月9日火曜日〔ロバート・トレイルの紹介〕
5 ミント卿ギルバート・エリオット宛 1762年4月9日〔ジェイムズ・クラーク氏の推
薦〕
6 ジョン・スポッツウッド宛 1771年7月26日〔友人のための教会職の確保〕
7 マクスウェル・ガースショー博士宛 1784年6月18日〔ピータ・メイン氏の就職斡旋〕
8 ジョン・ブルース宛 1786年10月3日〔マイネア教授への紹介状〕
9 アレグザンダ・ロス中佐宛 1786年12月13日〔ウィリアム・バークの推薦〕
10 ジョウジフ・ブラック宛 1787年5月9日〔フランス人旅行家ベール男爵の紹介〕
11 アレグザンダ・ロス中佐宛 1787年6月13日〔ロイズ氏の紹介〕
12 ジョウジフ・バンクス卿宛 178[7]年12月18日〔ジョン・レズリの紹介〕
13 [ウィリアム・ロバートスン]宛 1788年10月11日〔3人のスペイン人の紹介〕
第7章 『道徳感情論』の展開と第6版に向けて
1 [ギルバート・エリオット]宛 1759年10月10日〔初版に対する批判への回答、第2版
用の増補原稿の送付〕
2 [トマス・カデル]宛 1785年4月21日〔『道徳感情論』の新版に言及〕
3 [トマス・カデル]宛 1786年3月14日〔『道徳感情論』の需要への関心〕
4 トマス・カデル宛 1788年3月15日〔『道徳感情論』第3部の「義務感」と第6部の
「道徳哲学史」への増補〕
5 トマス・カデル宛 1789年3月31日〔新たな第6部「徳の性格」の追加〕
6 [トマス・カデル]宛 1790年5月16日〔新版の評判への関心〕
7 トマス・カデル宛 1790年5月25日〔『道徳感情論』第6版の刊行、健康への不安、現
存最後のスミス書簡〕
関連書簡
ⅰ スミス宛ドゥーガルド・ステュアート書簡 [1789年5月6日]〔第6版増補原稿の印刷
形態に関するカデルへの指示〕
第8章 アダム・スミスによる既刊書の回顧と未完の著作への言及
1 ジョージ・ベアド宛 1763年2月7日〔「人間精神の自然的進歩の歴史」との関連での
「合理的文法」〕
2 デイヴィッド・ヒューム宛 1773年4月16日〔天文学体系の歴史をふくむ大作〕
3 [デンマーク通商経済局長アンドレア・ホルト宛 1780年10月26日]〔フランスからの
帰国後の生活概要と自著の回顧〕
4 レイディ・フランシス・スコット宛 1783年3月17日〔イギリスの詩形とイタリアの
詩形について〕
5 ラ・ロシュフコー公爵宛 1785年11月1日〔「文学すべての異なる部門に関する哲学
的歴史」と「法と統治に関する理論と歴史」〕
第9章 デイヴィッド・ヒューム宛書簡(付・ジョン・ヒューム宛書簡)
1 デイヴィッド・ヒューム宛 1763年2月22日〔ヘンリ・ハーバートの紹介、現存最初
のヒューム宛書簡〕
2 デイヴィッド・ヒューム宛 1764年7月5日〔推薦状依頼、暇つぶしに本を書き始め
る〕
3 デイヴィッド・ヒューム宛 1764年10月21日〔推薦状へのお礼、バクルー公爵の弟
ヒュー・スコットの参加、南仏旅行計画〕
4 デイヴィッド・ヒューム宛 1764年11月4日〔アーカート氏の紹介〕
5 デイヴィッド・ヒューム宛 [1765年8月]〔ハートフォド大使の離仏、新大使秘書
任命の情報〕
6 デイヴィッド・ヒューム宛 [1765年9月]〔定住地と終の住処をめぐる議論〕
7 デイヴィッド・ヒューム宛 1766年3月13日〔バクルー公爵元使用人の紹介、定住地
の模索〕
8 デイヴィッド・ヒューム宛 1766年7月6日〔ルソー問題、公開書簡出版の阻止〕
9 デイヴィッド・ヒューム宛 1767年6月7日〔サースフィールド伯爵の紹介、カコー
ディでの研究と執筆〕
10 デイヴィッド・ヒューム宛 1767年9月13日〔オズワルド問題、新婚のバクルー公爵
夫妻、ルソー問題〕
11 デイヴィッド・ヒューム宛 1775年5月9日〔シャルル・ボネからの献本、プリースト
リのビーティ批判、『国富論』の原稿〕
12 デイヴィッド・ヒューム宛 1776年6月16日〔ヒュームの病状、ヒュームの遺稿の処
置〕
13 デイヴィッド・ヒューム宛 1776年8月22日〔遺稿『自然宗教をめぐる対話』と『自
伝』の処置、現存最後のヒューム宛書簡〕
14 ナインウェルズのジョン・ヒューム宛 1776年8月31日〔ヒュームからの遺贈200ポン
ドの返却〕
15 [ナインウェルズのジョン・ヒューム]宛 1776年10月7日〔ヒューム『自伝』への付
記、200ポンドの返却〕
関連書簡
ⅰ スミス宛デイヴィッド・ヒューム書簡 1752年9月24日〔『イングランド史』開始時
期の相談、『論集』の新版の校正、現存最初のスミス宛ヒューム書簡〕
ⅱ スミス宛デイヴィッド・ヒューム書簡 1765年[9月]5日〔ハートフォド大使の異動
をめぐる説明、年金の確保、定住地をめぐる議論〕
ⅲ スミス宛デイヴィッド・ヒューム書簡 1776年8月23日〔死去2日前、甥の代筆〕
第10章 文人、政治家、若き世代、その他宛書簡
a 文人宛
1 ケイムズ卿宛 1778年11月16日〔スミス批判の予告への謝辞〕
2 エドマンド・バーク宛 1782年7月1日〔ロッキンガム首相の死去〕
3 エドマンド・バーク宛 1782年7月6日〔帰郷直前の伝言〕
4 エドマンド・バーク宛 1783年4月15日〔主計総監復帰への祝辞〕
5 エドワード・ギボン宛 1783年6月19日〔ギリシャ語教授ディーエルの紹介〕
6 エドワード・ギボン宛 1788年12月10日〔歴史学教授クレッグホーンとその生徒の紹
介〕
7 ブフレル夫人宛 [1772年2月]〔『道徳感情論』の仏語訳に言及〕
8 ブラヴェ師宛 1782年7月23日〔『国富論』仏訳書贈呈への謝辞〕
9 モルレ師宛 1786年5月1日〔論理学教授ブルースとその生徒の紹介、フランスの故文
人たちに言及〕
b 政治家宛
10 フィッツモリス卿宛 1759年2月21日〔卿の弟トマスの勉学状況、国内外の政情〕
11 〔第2代〕シェルバーン伯爵宛 1767年2月12日火曜日〔ヘイルズ卿の弟ダルリンプル
の著作、南海上の未知の大陸、ローマの植民地〕
12 〔第2代〕シェルバーン伯爵宛 1768年1月27日〔サーフィールド伯爵の紹介、故郷で
の『国富論』執筆〕
13 アレグザンダ・ウェダバーン宛 1776年8月14日〔ルキアノス『対話』をめぐる
ヒュームの話〕
14 パウヌル総督宛 1777年1月19日〔『国富論』批判書簡への謝辞〕
15 [ウィリアム・イーデン]宛 1780年1月3日〔公収入増大方法〕
16 ウィリアム・イーデン宛 1783年12月15日〔北米諸植民地間の通商関係〕
17 [ウィリアム・イーデン宛 1783年]〔スコットランド王室費の報告〕
18 [ヘンリ・ダンダス]宛 1775年12月13日〔スキーン大佐の紹介〕
19 [ヘンリ・ダンダス]宛 1779年11月1日〔アイルランドとの自由貿易〕
20 ヘンリ・ダンダス宛 1787年7月18日〔ロバート・ダグラスの紹介〕
21 ヘンリ・ダンダス宛 1788年9月1日〔ジョージ・カニンガムの推薦〕
22 [ヘンリ・ダンダス]宛 1789年3月25日〔故アーウィン博士未亡人年金と故リチャー
ド・ガードナの娘への年金〕
23 [カーライル卿]宛 1779年11月8日〔アイルランドとの自由貿易〕
24 [ポーチェスタ卿ヘンリ・ハーバート]宛 1788年9月23日〔相続人デイヴィッド・
ダグラスの性格〕
c 若き世代宛
25 アルブスタのジョン・シンクレア宛 1778年11月24日〔稀覯本『覚書』の借用申し
込みに関して〕
26 アルブスタのジョン・シンクレア宛 1782年10月14日〔『ブリテン帝国海軍力考』
批判〕
27 アルブスタのサー・ ジョン・シンクレア宛 [1786年1月30日]〔『ブリテン帝国公
収入史』批判〕
28 [アルブスタのサー・ ジョン・シンクレア]宛 1786年4月11日〔黒砂糖の価格〕
29 ヘンリ・マケンジ宛 1780年5月23日〔『ミラー』最終号原稿の添削〕
30 ジョージ・チャーマズ宛 1785年11月10日〔『ブリテンの相対的国力』新版のため
の情報提供〕
31 ジョージ・チャーマズ宛 1785年12月3日金曜日〔『ブリテンの相対的国力』新版の
ための情報提供〕
32 [ジョージ・チャーマズ]宛 1785年12月22日〔情報提供、プライス批判〕
33 [ジョージ・チャーマズ]宛 1786年1月3日〔情報提供、モンクリーフとの会談〕
34 フレイザ・タイトラ宛 1786年2月4日〔報告原稿へのコメント〕
35 ジョン・マクローリン宛 [1783年11月-84年2月]〔報告原稿へのコメント〕
36 デイヴィッド・ダグラス宛 1790年1月21日〔勉学進展度〕
37 ヘンリ・ジョージ・ハーバート宛 1790年1月21日〔スミス家への招待〕
38 ロバート・カレン宛 1790年2月9日〔衰弱のため父ウィリアム・カレンの葬儀に
欠席の連絡〕
d その他宛
39 ジョン・デイヴィッドスン宛 1771年3月11日〔懐中時計の遅れの苦情〕
40 ジョン・デイヴィッドスン宛 [1771年秋]木曜日〔バクルー公爵の日程〕
41 ジョン・デイヴィッドスン宛 1780年7月5日〔スミスへの年金支払い〕
42 ジョン・デイヴィッドスン宛 1784年5月7日〔アンドルー・ステュアートの文書の
回覧〕
43 某貴族宛 1779年1月〔手持ちの謹呈分『国富論』〕
44 ジョン・ブルース宛 [1780年]9月7日木曜日〔会見延期〕
45 [駐英デンマーク総領事ペーテア・アンケア]宛 1780年10月26日〔『国富論』第2
版の献本〕
46 ジェイムズ・ハンタ・ブレア宛 1781年10月29日〔会食辞退〕
47 マッキノンのチャールズ・マッキノン宛 1782年8月21日〔出版予定論文へのコメン
ト〕
48 トマス・ウォートン宛 1788年2月8日〔会食辞退〕
49 ウィリアム・フォーブズ卿宛 [1789年9月]18日金曜日〔会食辞退〕
付 録
a アダム・スミスの後任者問題
ⅰ ウィリアム・カレン宛デスクフォド卿書簡 1764年1月22日〔トマス・リードの推
薦〕
ⅱ スミス博士宛ジョン・ミラー書簡 1764年2月2日〔トマス・ヤングの推薦〕
ⅲ ミュア男爵宛ジェイムズ・ステュアート・マケンジ書簡 1764年2月2日〔最適任者
の選考要請〕
b 『道徳感情論』初版への反応
ⅳ スミス宛デイヴィッド・ヒューム書簡 1759年4月12日〔世間の評価と哲学者〕
ⅴ スミス宛ウィリアム・ロバートスン書簡 [1759年]6月14日〔「哲学史」刊行への
期待〕
ⅵ スミス宛エドマンド・バーク書簡 1759年9月10日〔「人間本性」学の出発点、日常
生活からの例証〕
c 『国富論』初版への反応
ⅶ スミス宛デイヴィッド・ヒューム書簡 1776年4月1日〔安堵と賛辞、ギボンの著作、
ミュア男爵の死〕
ⅷ スミス宛ヒュー・ブレア書簡 [1776年]4月3日〔アメリカ問題の時論性、シラバス
の必要性〕
ⅸ スミス宛ウィリアム・ロバートスン書簡 1776年4月8日〔アメリカ植民地問題に関す
る示唆、索引と注記の必要性〕
ⅹ スミス宛アダム・ファーガスン書簡 1776年4月18日〔世論の形成者としての期待、
スミス民兵論批判〕
家系図1 ダグラス家(アダム・スミスの母方)
家系図2 スミス家(アダム・スミスの父方)
家系図3 18世紀スコットランドの統治者
付 表 グラズゴウ大学役職者リスト(1751-64年)
解 説
訳者あとがき
アダム・スミス年譜
索 引