イメージを一新する画期的な研究——『現代日本の少年院教育』
少年院ではどのような教育が行われているのか?
教育学・社会学の視点から多面的に分析
—— 『現代日本の少年院教育』
本書 「はじめに」 (後藤弘子氏) より ——
【少年法研究者としての疑問】
「少年院で行われている 「矯正教育」 は、教育という一般的な語彙で語ることができる営みである ——
私が一番知りたかったこのことを、本書にまとめられた6年間の共同研究の成果は余すところなく明らかにしている。
共同研究者の一員として研究に参加しながら、教育学の分析フレームワークを持たない門外漢の私にとって、他の共同研究者がどのような視点で同じ現場を見ているのか、なかなかわからなかった。
少年院においては矯正教育を行うと少年院法で規定されており、少年院で行われていることが 「教育」 であることを前提に、少年司法制度は構築され運用されてきていることからすれば、少年院は教育施設であるということは誰の目から見ても明らかである。私も制度としてはそうなっていることは、十分に理解しているが、「教育」 という言葉を使うたびに、一呼吸置かなければいけない自分がいることもまた事実だった。少年院での矯正教育は、いかなる意味で 「教育的営み」 といえるのか、そして、実際にそういうものとして機能しているのか。その確信を長いこと持てないでいた。
少年院での教育は、家庭裁判所の保護処分として、健全育成、つまり再非行防止、を目指して行われるという固有の目的を有する強制的な教育である。それゆえ、学校教育や生涯学習などとはかなり異なる面があるのではないか。にもかかわらず、同じ 「教育」 という言葉を使っていいのだろうか。
少年院における矯正教育は、収容している少年のプライバシーの問題もあり、長い間その教育内容について外部から検証されることなく独自の発展をしてきた。そのため、最新の教育学の視点から見たとき、どこまでその外部からの批判的まなざしに耐えることができるのだろうか。本当に 「教育」 と呼べるレベルの営みが行われているのだろうか。
本書は私がこれまで抱いてきたそうした疑問に答えてくれるものである。
本書では、「教育とは他者を変容させようとする営み」 であることを前提にして、少年院がどのような形で被収容少年を変容させていくのかをさまざまな角度から検証している。
もちろん、少年院に収容されている少年たちには非行があることが前提となっていることからすれば、社会に再適応させるために何らかの変容が予定されているのは当然のことである。矯正教育とは、「少年院が保護処分の執行として、在院者を社会生活に適応させるために行う意図的、計画的、組織的な教育活動」 であり、そのことからすれば、矯正教育は教育であり、「他者を変容させようとする営み」 であることに疑いはない。
しかし、その営みがどのようなものかについて、これまで外部の視点から考察されることはほとんどなかった。それが今回、外部の視点、しかも教育学の視点で考察されて、少年院での矯正教育は教育であったことが、あらためて確認されたのである。少年院法の改正が国会に上程されており、少年院が変革期を迎えている今、このような研究の意義はとても大きい。
少年院法の改正は、これまで少年院が矯正教育として行ってきた営みをより明確にする形で行われようとしている。けれども、制度が変わるときには、これまでの自分の営みが否定されたように感じることも少なくないだろう。場合によっては、矯正教育が教育であることについても、疑問を持つこともあるかもしれない。
その場合に、本書はとても役に立つ。これまで少年院が行ってきた矯正教育は、まぎれもなく教育である。本書を読むことで、少年院の矯正教育に関係する人たちはそのことを再確認し、失いかけた自信を取り戻すことができるはずである。……」
広田照幸・古賀正義・伊藤茂樹 編
定価/本体価格 5,880円/5,600円
A5判・上製・396頁
ISBN978-4-8158-0705-4 C3037
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