宮崎洋子『「テロとの闘い」と日本』序章から

宮崎洋子『「テロとの闘い」と日本』
“序章「テロとの闘い」の10年”から

「テロとの闘い」と日本

 2001年9月11日、ボストンの朝は穏やかに晴れていた。いつものように朝の準備をしながらテレビのニュースをつけると、高層ビルから灰色の煙が上がっているライブ映像が目に飛び込んできた。セスナ機という言葉も飛び交っていたが、どうやらジャンボジェット機が世界貿易センタービルに衝突したようだ、とんでもないことが起きた、信じられない、とアナウンサーが半ば絶叫気味に実況している。事態がよくわからないままにハウスシェアをしていたアメリカ人に、「ニューヨークで飛行機事件みたいよ」と声をかけると、映像を数分間凝視したあと、血相を変えて電話をかけまくり始めた。テレビには、さらに想像を絶する場面が次々と映し出される。2機目のジャンボジェット機がもう1つのツインタワーに誘導されるかのように真っ直ぐに突っ込んでくるところ、それを逃げ惑いながら伝える現地レポーターの驚愕の表情、ビルの上から落ちてくる小さな黒い影(後にそれには高層階で働いていた人の影も含まれていたことを知る)、巨大なビルが黒煙を上げながら崩れ落ちていく様子。しばらくして、テロリストによる攻撃、ワシントンの国防総省も狙われた、真珠湾以来の米国への攻撃などの情報が伝えられ、テレビに流れるテロップも “breaking news” から “U.S. is under attack”、そしていつしか “war” という言葉に置き換わった。町は星条旗で埋め尽くされ、愛国ムード一色で、それに異を唱えることが難しい重苦しい雰囲気が充満し、この同時多発テロ事件発生から1カ月余で米国は報復戦争へと突入する。

 米国が突如本土に攻撃を受け、国家の威信をかけて開始した「テロとの闘い」に、同盟国である日本は何もしないという選択肢はなく、米国からの「目に見える貢献」という要請を基点に、自衛隊を海外に派遣するための新法を制定して、海上自衛隊の補給支援活動を中核とする後方支援活動を実施する。アフガニスタンでの掃討作戦に加え、その1年半後にはイラクにも対象を広げた米国は、次第に軍事的必要性に迫られ具体的な要請を日本に繰り返すようになる。しかし、日本はこれに常に応じてきたわけではなかった。例えば、米国は遠くの敵機を探知することのできる索敵能力等を有するイージス艦や、アフガニスタン山岳地帯での哨戒活動に有効なP3C哨戒機の派遣に期待を寄せるが、日本はなかなかイージス艦の派遣を決定せず、P3C哨戒機についてはその派遣を拒否する。また、アフガニスタンで反政府勢力が力を盛り返し治安が急速に悪化、掃討作戦にあたっていた米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍の死傷者が急増し、各国が増派を検討していた時にも、日本政府は支援拡充に応じることはなく、2007年秋にはそれまで継続してきた補給支援活動すらも一時停止、さらに米軍等による派兵がピークとなった2010年、「テロとの闘い」から自衛隊を完全に撤収させる。米国も日本への軍事支援の期待を喪失し、財政的支援の要請へと切り替える。

 米国が正義の実現を主張して開始した「テロとの闘い」に、日本は同盟国として自衛隊による支援活動が必須との危機感をもって対応に臨んだはずなのに、なぜ、日本が米国の要望に応じない、あるいはアフガニスタン情勢の悪化により米兵等の死傷者が続出し、各国が兵力を増強している最中に、自衛隊を引き揚げるということが起きるのであろうか。そもそも、軍事安全保障面で米国に依存してきた日本の主張を米国が聞き入れ、妥協し、歩み寄るということが起きるのであろうか。

 アフガニスタン情勢の悪化を受けて米国をはじめ関係各国が軍事的関与を強める中、支援拡充要請に応じないどころか従来実施してきた活動を中断、数カ月後に再開し、2年足らずで撤収するという日本のドタバタした行動は、国際システムにおける国家の合理的選択としては説明がつかず、国内政治要因に着目する必要がある。政府が政策の一貫性を保持できなくなる要因として、まず、野党の存在が思いつく。「テロとの闘い」への日本の主体的な取り組みを主導し、継続してきたのは自民党と公明党を中心とする連立政権であったが、2007年7月の参議院選挙で与党である自民党と公明党は過半数を割り込み、最大野党の民主党が躍進する。民主党が他の野党とともに海上自衛隊による補給支援活動の期限延長に反対したことで根拠法が失効し、海上自衛隊はインド洋から撤退を余儀なくされる。同活動の実施に執着する政府は新たな法案を国会に提出し、参議院で否決されるも衆議院による再可決によって成立、4カ月の中断を経て海上自衛隊はインド洋に復帰する。しかし、2009年夏の衆議院選挙で民主党を中心とする連立政権が誕生すると、公約通り、自衛隊をインド洋から撤収させる。このように海上自衛隊が活動の中断を挟んで完全撤退に至る節目を取り出してみると、補給支援活動の撤退を主張していた民主党などの野党が参議院で過半数をとって国会における影響力を拡大し、さらに衆議院選挙で政権交代を実現させたことが政策変更の要因に見える。しかし、10年にわたって支援策を実施してきた日本政府の対応を米国の要望に照らしてみると、必ずしも米国の要望を反映する結果となっていないことについて、野党の反対という理由のみでは説明できない部分も多い。例えば、米国が要請していた補給支援活動以外の支援策はなぜ実施されなかったのか、なぜ根拠法が期限切れで失効する前に衆議院による再可決で延長しなかったのか、なぜイージス艦派遣は先延ばしされたのか、といったことは野党の反対だけでは説明がつかない。あるいは、そもそも自衛隊派遣の根拠法に2年や1年といった有効期限をなぜ設けたのであろうか。

 どのような米軍支援策をいつまで実施するか、政策の詳細を決定してきたのは自民党と公明党の連立政権である。連立政権では、政権を構成する政党がそれぞれ閣僚を輩出して内閣を構成し、政権の運営にあたる。政府内で対外政策の企画・立案に中心的役割を果たすのは官僚であるが、その主体的な決定者は首相、外務大臣、防衛大臣(防衛庁長官)、内閣官房長官であり、自公連立政権では首相はもちろんのこと、これらの関係閣僚はすべて自民党から輩出されている。経験と実績を有し、所属議員数も公明党を圧倒する自民党が対外政策を決定する主要閣僚を独占する状況からは、自公連立政権とはいっても、対外政策に関しては自民党が専ら主導し、その選好が反映されてきたのではないかとの印象を受ける。しかし、戦後長らくそうであったように自民党が政府と二人三脚で政策の決定・実施にあたっていたとするのであれば、米国の強い要請を受けて政府が現地調査まで敢行したのに追加の支援策を見送ったり、衆議院による再可決を躊躇したり、そもそも自衛隊派遣の根拠法に期限を設けないという政府の方針を、米国もそれを望んでいたにもかかわらず、与党協議の段階で覆すということがありえたであろうか。そこで注目されるのが、政府提案の政策を修正する、あるいは反対する主体としての、もう一つの与党である公明党の存在である。

 自民党と公明党は独立した別の政党であり、支持層も異なれば、掲げる政治理念も異なる。多彩なバックグラウンドや思想信条を有する豊富な人材を抱え、戦後、日米同盟を基軸とした外交・安全保障政策を政権与党として構築してきたのは間違いなく自民党であった。一方の公明党は、平和を希求する宗教団体を支持母体にもち、野党時代には日米同盟に反対し、自衛隊も違憲の疑いがあるとして自民党を厳しく批判していたこともあり、福祉や教育など市民生活と関係が深い国内政策に重点を置いた、議席率一割程度の小政党である。自民党と公明党は、本来、対外政策に関する選好は大きく異なっているといえ、連立政権を維持するためには両党の異なる選好のすりあわせが不可欠である。実績と人材を誇る大政党に対し、与党経験の浅い小政党の主張が通るようなことはあるのであろうか。公明党が対外政策で影響力を行使し得るとすれば、それはどうやって可能となっているのであろうか。

 本書では、連立小政党が対外政策に及ぼす影響力を、「テロとの闘い」への日本の協力支援に関する事例を通じて明らかにしようとするものである。また、国内政治の駆け引きが対外政策に影響を及ぼす側面に加えて、その逆の、対外政策をめぐる国際交渉が国内政治にも影響を及ぼした可能性についても検討する。自衛隊による活動を中核とする日本の支援策は小泉純一郎政権下で立案・実施されるが、想定以上にアフガニスタンでの戦闘は長引き、2006年の小泉首相退陣以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と一年足らずで次々に首相が交代する中での支援策の継続となる。2007年衆議院選挙で与党過半数割れとなり、衆参両院で多数派が異なる、いわゆる「ねじれ国会」に直面した安倍首相は、補給支援活動の継続は国際公約であり、「職を賭して取り組んでいく」と発言した直後に辞任、続く福田首相も同じ政治状況から苦境に立たされ辞任に至る。自衛隊の活動継続をめぐる日米交渉がこれら国内の政治的混乱に何らかの影響をもたらしたのであろうか。日本の支援策の立案・実施過程における日米交渉と国内政治の駆け引きを追うことで、国内政治情勢が対外交渉に与える影響、逆に、国際交渉が政策を介して国内政治に与える影響という内政と外政の連関について詳らかにしていきたい。日米交渉と国内の連立政治の関係については、国際と国内の政治のダイナミクスを包括的に捉える分析モデルとして提唱されたツーレベルゲームを用いて、日米政府の交渉ポジションがどのようにして変遷していったのかを考察する。そして、日本政府の交渉ポジションに変化をもたらし、日米交渉にも影響を与えたと考えられる国内政治要因を、連立小政党に焦点を当てて解明したい。

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