書籍の内容
〈土地〉との絆/切断は思想や芸術にとって何を意味するのか? ―― 〈土地〉に結びついた美を称揚するラスキンの思想を出発点に、「祖国」や「大地」 をめぐる同時代の政治的・社会的文脈を背景としながらも、『失われた時を求めて』に結実する独創的な小説美学をつくりあげていったプルースト。その 思考の足どりを、美術館やモニュメント、書物などの主題のうちにたどり、新たな言葉の生成に立ち会う。
「書物について」
……「解体」という名の新たな「組織化」、あるいは、混沌でありながらも、暴力的な無秩序とは異なった「論理」に支配された状況。物語を再読する者にとっては、記憶を支える基盤としてのコンブレーが崩壊し、つなぎ止められていた一切のものが浮遊した結果として生じた場のようにも読めるこの混沌を、作家は明確な意志を持って練り上げていた。『スワン家のほうへ』冒頭の一句の生成過程に関する詳細な分析にも明らかなように、小説が立ち上がる場面における時間的・空間的限定の有無は、プルーストにとって非常に重要な問題でありつづけた。そして、草稿上の試行錯誤を重ねた結果、作家はそうした限定を完全に排除するに至ったのである。また、最終的に、一人称の「私」と「複合過去」時制以外のいっさいが排除された「もっとも単純でもっとも短い文」が選択されたことは極めて示唆的であり、さらに言えば、そうした選択の結果として「私」の「声」が読み手のなかで「かつてないほどの衝撃力を持って響きわたる」ことを、作家は間違いなく意識していた。この「声」自体が、夾雑物に囲まれた状況を回避して、「いっさいの特殊性」がそぎ落とされた状態を称揚するプルースト美学の本質を、端的に示しているとも考えられるからだ。そして『失われた時を求めて』を繙いた読み手は、この裸形の「声」に自らの声を重ね合わせることによって、作家の作品世界(それはすなわち自分自身の内奥にほかならない)に踏み込んでゆくことになる。……(本書pp.212-213)
書籍の目次
第Ⅰ部 美術館と〈土地〉をめぐる芸術論
第1章 プルーストと美術館というトポス
第2章 鉄道駅と美術館とのプルースト的交錯
第3章 プルーストと〈展覧会〉をめぐる問題
第Ⅱ部 〈土地〉の記憶に注がれた視線
第4章 批評家アンドレ・アレーとの距離
第5章 古典復興運動とプルーストのネルヴァル観
第Ⅲ部 〈土地〉の破壊と芸術創造
第6章 崩れ去るヴェネツィアと〈土地〉の記憶
第7章 第一次世界大戦と〈土地〉の破壊
終 章 書物について――「個」と「普遍」
書評紹介
『みすず』(2010/1・2合併号、評者:柿沼敏江氏、野崎歓氏)


